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日独協会の沿革

 戦前の日独協会の嚆矢は、明治44年(1911年)10月30日の創立総会に遡ります。
 初代総裁には、久邇宮邦彦王殿下、また副総裁には桂太郎元首相が就任されました。しかし、大正3年8月第1次世界大戦の勃発で日独交戦状態(1914〜1918年)となり、この両国の親善社交団体は暫時停会のやむなきに至りましたが、大正15年(1926年)再興されました。しかも新たにドイツ側の提唱で1927年ベルリンに創設された日本文化研究所(所長・フリッツ・ハーバー博士)に対応し、両国文化交流を目的とする(財)日独文化協会(会長・後藤新平)が昭和2年(1927)6月18日、東京にも設立されました。両会は昭和20年(1945)ドイツ敗戦まで存続しました。
 戦後は、昭和27年(1952年)7月22日、日独国交の再開と共に、新しく財団法人日独協会が組織され、旧日独協会並びに旧日独文化協会の事業を承継して発足しました。その目的は、「日独両国民相互の協力により両国文化の交流、科学技術及び経済上の連絡を密にし、もって両国の理解と親善に寄与すること」にあります。駐日ドイツ特命全権大使を名誉会長に推戴し、設立の翌年、昭和28年(1953年)12月に、文部省並びに外務省共管の財団法人として認可されました。そして、平成22年10月に公益認定を受け,同年10月13日公益財団法人日独協会への移行登記をしました。
 爾来、当協会は日独の政府・関係諸団体と連絡を密にし、両国の各分野における友好関係を推進する中核団体として歩みを続けております。